2018年11月05日 01:20 - 01:50

JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス

「原発避難家族8年目の挑戦 ~愛媛・福島1000キロ 二重農業生活~」 ▽深夜若者ゾーンに問うちょっとアナクロな直球勝負の報道番組 2011年3月、東日本大震災と原発事故で、福島県南相馬市小高区から愛媛県に避難した一家がいる。渡部寛志さん一家。南相馬市小高で農業をしていた渡部さんは、住まいと農地が第一原発から20キロ県内の旧警戒区域に入っていたため強制避難となり大学時代を過ごした愛媛県に避難した。愛媛ではみかん栽培や養鶏と賠償金でなんとか生計を立てていた。 現在、中2になる長女・明歩さん、小4になる明理さんは、休みの日には父寛志さんの手伝いをしている。    その寛志さん、一昨年、南相馬市小高区が避難指示解除となり、また、去年、コメの作付け制限が解除になるなど、復興に向けて歩み出したことで故郷に戻る意志を固め、小高に戻って、コメ作りを再開した。   だが、寛志さんは、愛媛での農業も続ける、という。その一番の理由は、子ども達に何の屈託もなく自然と親しんでもらいたいからだという。原発事故の影響がどう残っているのかわからない状況では、故郷に戻っても、子どもたちに農業の手伝いをさせる気にはならないのだという。   そのため、春の田植え時期の4月、5月と秋の収穫の時期10月の3か月間だけ、福島に住んでコメ作りを行い、子ども達も小高の学校に通わせるという、前代未聞の二重の農業生活を送る計画をたてている。果たしてそんなことがうまくいくのだろうか?   桶田敦(テレビユー福島)・森田雅章(あいテレビ)   秋山浩之  佐古忠彦 ◇番組HP  http://www.tbs.co.jp/jnn-thefocus/  ◇facebook  https://www.facebook.com/tbs.houtama   番組の内容と放送時間は変更になる可能性があります。 佐古忠彦

今年2月 福島県南相馬市に
1台のトラックが到着しました
おはようございます
積んできた荷物は1000キロ離れた愛媛県から
わざわざ持ってきた ミカン
福島第一原発の事故で愛媛県に避難した
渡部寛志さんが栽培した ミカンです
震災の年から畑借りて
実がなってる木を借りてるので
なるほどね
地元に帰ってくるたびにミカンを売って回ります
ここ 南相馬市は渡部さんが生まれ育った場所
2年前に避難指示が解除されたこの場所に
去年 避難先から戻った渡部さんの両親が住んでいます
長女の明歩さん 中学1年生
次女の明理ちゃん小学3年生です
2人は 今年4月から故郷南相馬市の学校に
転入することに なったのです
2011年3月11日東日本大震災当日
渡部さんは 津波が押し寄せるのを目の当たりにして
この高台に避難しました
津波が来て 浜にドンと来て10分後
だからホントに ここにものが押し寄せられてきた段階で
私 ここについたんですよ
間一髪でした
原発事故直後 大学時代を過ごした愛媛県に
一家で避難しました
そこで始めたのがミカン栽培でした
全体の収入が小さいですがその中では
ミカンが ほとんどですね
よし… よっ
渡部さんの妻 直美さん
直美さんも南相馬市で生まれました
愛媛県への避難に当初 反対でしたが
しばらくするとそれも解消したといいます
ぼちぼち野菜を増やして
みんなに買ってもらえるように努力したいと思います
原発事故がもたらした突然の避難生活
あれから7年 渡部さん一家は
大きな岐路に立たされているのです
渡部さんが福島に戻ってきたのには
もう一つの理由があります
農業を再開させるため
県の補助金を申請する必要があったのです
今回 できれば こちらに何回も 来れないもんですから
ある程度 形にして提出すると市の方にね
そこまで できればと
短い滞在の中で申請書類を作るのは大変です
渡部さんが米づくりを計画している
田んぼを見せてもらいました
あくまで再開するのは稲作であって
春作業と 秋作業がメインの農業になるので
その間だけ 子どもたちも連れて
春と秋だけ福島可能なのでしょうか
翌日 渡部さんは 娘2人と地元の学校を訪ねました
来年度は その3カ月は通わせていただいて
学校の環境含めて
どんなんかなというのを 実際
私も子どもも 様子を
見るような年にしたいなと
それは ウエルカムで大歓迎ですけどね
春と秋の3カ月だけの転入という
前代未聞の願いがかなったのです
渡部さん一家が避難している愛媛県伊予市
福島県から 1000キロ離れた四国にあります
鶏にエサをやる準備をしているのは
姉の明歩さんです
明歩ちゃん 休みの日は手伝いにきてるの?
学校が休みの日には妹の明理ちゃんともども
父 寛志さんがミカン栽培の傍ら営んでいる
養鶏の手伝いをしています
2人とも すごいちゃんとお手伝いするんだね
そうですね 私は やんなくて口で言ってるだけで
でも 楽しそうだよね?うん
こうやって 農業というかやるの好き?
しょうがないからつきあってやってるの? 違うか
好きではある
明歩さんが原発事故を経験したのは
小学校に入学する直前です
避難先の愛媛県で なんとか入学式を迎えることができました
みんなで入学式 楽しかったです
ホッとしました 友だちもすぐできたみたいなので
ちょっと不安が1つ減った感じです
震災から2年たった慰霊祭で
明歩ちゃんはこんな作文を読んでいます
「こんなことがなかったら福島で友だちと おばあちゃんと」
「おじいちゃんと 家族で仲良く生活できたのにと」
「思ってしまいます」
小学2年生にのしかかった過酷な運命
原発事故から6年
愛媛での避難生活にも慣れ
明歩さん 中学校に進学しました
勉強やスポーツに忙しい毎日でした
そんな中 明歩さんは今年に入って
大きな転機を迎えます
父 寛志さんが 福島に戻って農業を再開することになり
明歩さんも一緒に戻ることになったからです
愛媛の生活の方がいいんじゃないの?
いや 福島の方がいい
そう?こっちのが 暖かいじゃん
暖かいけど… ね
暖かいけど
温暖な瀬戸内海に面する伊予市
休みの日には 一家総出で釣りに出かけます
この日は 夕食のおかずをみんなで釣ろうという目論見です
次女の明理ちゃんが大きなクロダイをつり上げました
明理ちゃんの方が釣り 上手ですね
そうかもしれない
夕食の準備も家族総出でやります
魚をさばくのも明歩さんの仕事
誕生日のプレゼントに買ってもらった出刃包丁で
明理ちゃんが釣ったクロダイを三枚におろして お刺身です
今日のメインは ばら寿司
明理いた…いた
だき…だき
ます!ます!
一家団らんの夕食の時間
こうした 愛媛での楽しい生活を犠牲にしてまで
福島に帰る決断をした父 寛志さん
子どもを連れて戻るということに関しては 不安がある中で
それでも地元の小高区も避難指示が解除されるし
コメの作付け制限も解除されるし
町が少しずつ動き出してきたという実態がある中で
自分も 貢献できるとしたら
農業の分野しか ないんだけど
いずれ農業やりたいと 思ってたし
黙とう
震災から7年たった今年の3月11日
松山市の慰霊祭に3人の姿がありました
桜が咲いた4月
渡部さん一家はいよいよ故郷 福島に向かいます
果たして 渡部さん一家の挑戦は実を結ぶのでしょうか
原発事故から7年たって
渡部さん一家は故郷に戻ってきました
次女の明理ちゃんは小学4年生
長女の明歩さんは中学2年生になりました
2人とも 毎日市が用意したタクシーで通学です
いってらっしゃ~い
6月 渡部さんは8年ぶりの米づくりに挑戦です
何かワクワクしてますね
えっ?
ワクワクしてる
そうですね 田植えのときはね
けど 植えてからがまた1週間ぐらい 心配なんですよ
県の支援事業で新たに購入した最新の田植え機に
稲の苗をのせていきます
渡部さん 少し慎重な面持ちで
一面に水を張った田んぼに苗を植えていきます
こんなにも早く米づくりを再開できるとは
思ってもみなかったと渡部さんは いいます
これ今 パパがつくってるの?
明歩みんなでつくってる勉強部屋?
中見せてよ 中中 全然できてないよ
庭先には 2人の娘の勉強部屋が
ロフトのある 立派な離れです
どう? 福島帰ってきてえ~ 微妙
微妙か帰りたいっていってたじゃん
帰りたいっていってたけど
いいけど こっちの方が
う~ん 楽しいけど 微妙
新しい学校にまだまだ慣れないようですね
渡部さんが田植えをしている間に
妻の直美さんと 子どもたちはお昼の準備です
軒先に 即席でテーブルをつくります
椅子は 愛媛から持ってきたミカン箱
食事は 愛媛のときと同じく一家総出で準備をします
今日は 手づくりのギョウザ
愛媛のように 新鮮なお魚というわけには いきません
お日さまの下で昼食です
震災前の光景がようやく戻ってきたのです
3世代そろっての団らんがそこにはありました
行ったり来たりで それはそれで
子どもたちの
なんていうかな 勉強じゃないな人生経験… おかしいな
なんて表現したらいいかわかりませんが
マイナスには ならないだろうと
愛媛のことと 福島のことと両方見て
経験して暮らしていけるっていうのは
それはそれで プラスのことも
多いんだろうとは思ってますけどね
田植えを終えた渡部さん一家
休む間もなく愛媛での生活が待っています
松山市の石手川に来ています川の流れは ものすごく激しくゴーッという水の流れる音に恐怖すら感じます
7月 愛媛県は未曽有の豪雨に見舞われました
渡部さんは ミカン栽培のノウハウを教えてくれた
土井さんの畑に来ていました
少しでも支援ができればとやってきたのですが…
ミカンつくりの勉強をするために
土井さんに案内してもらって見にきた畑なんですけど
何もないけど全部 木 植わってたんです
だいぶ 景色が変わってしまった
風景が一変した畑
一方こちらは 福島の渡部さんの田んぼです
悪天候の影響もなく 稲穂が黄金色に 色づき始めました
愛媛での慌ただしい生活の中でも
明歩さんと 明理ちゃん姉妹は福島とのつながりを忘れません
♪~
9月に入って 松山市のお寺で開かれた盆踊りで
福島の民謡「相馬盆唄」を2人で披露したのです
東日本大震災で愛媛県に避難してきた人たちを
支援する団体が開いたこの盆踊り
避難で故郷を知らない子どもたちに
東北の文化を知ってもらおうと企画されました
渡部さんは 4月になって住まいを松山市に近い
松前町に移していました
幸い 鶏小屋は豪雨被害から免れ
卵の販売が愛媛での生活を支えます
とれたての卵を なじみのお客さんのところに届けます
次女の明理ちゃんは移動の車の中で宿題です
まもなく 稲刈りで福島に戻ることになる
明歩さんと明理ちゃん姉妹
勉強に忙しくともお手伝いは欠かせません
こんにちは 明理ちゃん
ありがとうございます
こうした二重生活を 明歩さんはどう思っているのでしょうか
明歩 あんたも車でできる宿題持って 車でいくべ
それは… ムリだ
なんでムリなんだ
9月までしか いないから 10月分の宿題を終わらせて出さないと
10月分?1カ月分やれっていわれたの?
どうやら二重の学校生活が大変なようです
みんなより1カ月… 10月の宿題を出せっていわれたってことか
どうでしょうかそんなこと アリでしょうか
9月30日
渡部さんは 2人の娘を連れて
南相馬に戻ってきました
明歩さんと 明理ちゃんにとっては 5カ月ぶりの福島
勉強道具も持参です
愛媛から福島までおよそ1000キロ
ほぼ一日かけての道のりでおなかは ぺこぺこ
渡部さん 田んぼの様子が気になるようです
向こう 倒れてるやつの品種は?
あれ ひとめぼれ
一番 つくった中では倒れやすいのわかってたんですけど
ひとめぼれはほかの品種に比べて生育が早く
肥料のやりすぎと 風の影響で稲が倒れていることから
早く刈り取る必要があるようです
どんなもんかね
まだ 芽は出てないですね
乾いたら さっさと刈り取らないとやばいっすね
なんといっても8年ぶりの米づくり
台風が迫る中 稲刈りのタイミングが気になります
ホントは 天のつぶだけでいこうかなと思ってたんですけど
愛媛で買ってくれるという老人ホームが
そこも直営で 自分たちが米つくってるんですよ
そこでは ひとめぼれつくってるっつって
ひとめぼれなら どんな米だかわかるからっていう話で
長い一日でした
福島に戻って1週間
ようやく稲刈りができるようになりました
この稲刈り機は7年前に買ったもの
原発事故で使うことのなかった稲刈り機が
ようやく 日の目を見たのです
乾燥から 脱穀まですべての工程は
県の支援事業で買った機械で行います
渡部さん お米の出来栄えはどうですか?
機械を通した上で出てくる米は
見た目は 非常にいい
お米の出来に少しホッとしているようです
前代未聞のチャレンジが実を結んだ瞬間でした
2カ所で学校行ったり来たりするとか
農業 2カ所で行ったり来たりするなんていうのは
前代未聞じゃないですかなんていう話を
時々ね されるんですけど
私からしてみりゃあ前代未聞なのは
福島第一原発の事故であって
あの事故から どう自分の生活を
立て直していくかという過程の中で
選んだ一つの挑戦が
今の自分の生活の形であって
この選択がね いい選択だったのか
悪い選択だったのかは 今後
子どもの成長のこともあるし
将来的にしか わかんないのかもしれないんですけど
うん ここまでは
農業に関しては 予定どおりかなと
故郷で米づくりという目標を達成した渡部さん
福島と愛媛
1000キロ離れた 二重の農業生活
原発事故から避難した家族の挑戦は
これからも続きます

更新